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祖母が
「人に吐いた暴言が自分に
返ってくる」
実例を目撃した話
祖母の実家は空襲に縁が
なかった田舎だったが
広島の原爆で父親死亡+
母親寝たきり+本人は
火傷を負った子が田舎の
親戚に引き取られて転校してきた
その時祖母は13歳
クラスの中心的存在だった
意地悪娘Aがその娘を苛める苛める
詳細は語って
くれなかったがAは
取り巻き達と一緒に机に
彫刻刀で「市ね」「乞食」と落書き
その娘に面と向かって
「あんたみたいな汚い
孤児がいると教室の空気が汚れる。
さっさとくたばりくさった
親の跡を追え」
と暴言を吐いていた。
集団リンチなども行っていた模様。
見かねた祖母が親友と(級長)
先生に告げ口した。
Aは先生からこっぴどく
怒られ親からも叱られ
とりあえずいじめはそこで
収まった。
凄いのはここから。
翌年家が火事になってAの
両親が焼死した。
いじめられっ子が放火
容疑で警察に取調を
受けたりしたが火事の
原因が判明した。
A母の風呂の火種の消し
忘れだった。
その後更に凄いことが起こった。
町内に住んでいたAの
祖父母はAの引き取りを拒否した。
Aの妹も飼い犬も
引き取ったのにAは
「関係ない」と拒否
何とAは養子だった。
どっかの貧窮院(?)から
引き取ってきた捨て子だったのだ。
生後数か月で引き取ら
れたのでA自身も知らない
ことだった。
Aの祖父母は最初から
引き取りには反対で
ワガママに育ったAも
嫌っていたらしくAの戦災
孤児いじめをしって完全に
見放したらしい。
私の曾祖母がお茶の
先生だったA祖母から
じかに聞いた話。
「知らなかったとはいえ
自分も本来孤児の
立場だったのに戦災孤児を
汚い乞食といじめるような
子と同じ屋根の下で
暮らすなんてまっぴら」
「自分達の足腰が立たなく
なった時にAに臭い汚いと
足蹴にされるかも知れない」
と言ったそうだ。
Aは間もなく町から姿を消した。
どこに引き取られたかは不明。
祖母は親友たちと
「暴言がそっくりそのまま
自分にかえってきちゃったのねぇ」
と驚嘆した。
この話、祖母とその
友人達の間で子や孫
ひいては親戚一同に
語り継がれているらしく
私も自分の娘にその話をしてます。
兄夫婦も子供に話してるし
親戚一同の集まりでは時々
その話が話題に上る。
しめくくりは
「人に言った意地悪は
そのまま自分に返ってくるのよ」
戦後だったら救貧院か孤児院かな?
引き取られたときは幼
すぎて記憶が無かった
せいかもしれないが、
その時代で戦災孤児を
虐めるのは元々の性根が
良くない子だったのかもね
でも、Aに自分の出自を
教えて言い聞かせる前に
放り出すのは無責任な気がする
本当は祖父母に余計な口を
養う余裕が無かったからかとも思う
A両親もA祖父母も
そこそこの資産家だったし
祖母曰くA祖父母に引き取られた妹
(こちらは実子)
は東京の女子大まで卒業
して歯医者に嫁いだそうです。
撮りえず余裕がなかった
ことはないかと…
資産家だったら、持参金
付けて遠縁か知り合いに
引き取ってもらったのかもね
Aが心底嫌いだったわけか…
戦後なら
(戦後でなくても)
両親の遺産は養子のA子が
相続するはずなんだけど、
身一つでどこかにやられ
ちゃったんだ?
あれれー、遺産は誰がどうしたの?
A子は血の繋がりもないし
性格も悪いからって、
孤児になったとたん
何もかも横取りされたとなると、
因果応報というよりは
弱肉強食な話に読める
んだけどせめてちゃんと
した所に引き取られたって
要素があれば、
因果応報かもしれないけど
犬と妹は祖父母に引き取ら
れたとあるけど
A子だけは何も与え
られずに放り出されたと
読めるよね?
昔の話だから、女子供の
相続権なんて吹けば飛ぶ
ようなものだったろうけどさ
創作ポリスが来たぞー
祖父母 と暮らす 孫 性格 在 まとめまとめの Youtube 的最佳解答
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広い家に
wwwwwwwwwwwwwww
俺
wwwwwwwwwwwww
一人wwwwww
寂しい
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwから
wwwwwwwwwwww
ちょっとwwwwwwww
ジジイの話にwwwwww
つ
wwwwwwwwwwwwき
wwwwwwwwあ
wwwwwwwっうぇ
wwwwwwwwwwww
いや、お前はよくやったよ。
もう泣いてもいいんだぜ?
かってに話せよお父さん
さすがwwwwwwwww
おまえら
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
最高
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
いちいちw欝のめんどくさいから省く
まず俺の生い立ちから語る
ハイパー自己満足タイムはじまり
お父さんひとまずお疲れ様だな
都会でもないし、田舎でも
ない、なーんにも面白い
ことの無い街に俺は生まれたわけよ
生まれたときにはもう父親は
いなかったのね妊娠判明した
次の日には姿をくらましてたらしい
母親は産休を早めに切り上げ、
すぐに働きに出た
母方には親類がいなかった、
理由は教えてもらってない。
それでも父方の祖父母がいい人で、
俺が一人で留守番できる
年齢になるまでずっと面倒
見てくれてた。
いきなり複雑だな
なぁに、数年後には孫連れてくるさ
家族が増えて帰ってくるんだ、
我慢しなさいよ
いい親父だなww
それから特に面白いことも
無く小学生になって、
なんか全国一斉IQテスト
みたいなのやらされて
その結果が半端
なかったらしくどっかのお
偉いさんに東京まで呼ばれて、
他に全国から呼ばれた
子供達と一緒に1泊2日で
テストとか模擬授業とかやらされた
その後「ぜひうちの学校に」
と東京のなんか有名な学校の
校長から言われたらしいが、
母が猛反対しておじゃんになった
理由は俺が
「友達と離れたくないから」
と言ったかららしい、
まったく記憶に無いけど。
母親はそれくらいいつも俺の
意思を尊重してくれてた。
駄々を捏ねたら叱るけれども、
夕飯のおかずとか休日
行きたい所とか聞いてきて、
俺が希望を言うとそれを必ず
叶えてくれた。
仕事ばかりで俺にかまって
あげられなかった分を
少しでも補いたかったらしい。
良い母ちゃんだな
おやじ何か飲んでるのか?
長くなりそうだな
飲ませてやろうぜ
きっと書きながら色々
思い出してるのさ
マターリいこう
そのまま地元の中学校に進学
した俺は、
友達に誘われ放送部に入った。
2年、3年の部員は居なく、
俺らの学年で誰も
入らなかったら廃部だったらしい。
結局俺と友達の他にも3名入部し、
廃部は免れた。
昼の弁当の時間に音楽を
流したりするだけの部活だったが、
その面子で勝手に放課後に
放送室に集まってトランプしたり、
音楽聴いたりしてなかなか
充実していた
ある日部員の女の子が
ザ・フーのアルバムを持って
きて昼休みに流してた。
教室に戻るとクラスメイトが
「なんだこの曲は、もっと
違うの流せよ!」
とブーイングしていたが、
その女の子は
「こういう音楽もある
んだって皆に教えるために流した」
と言い張った。
その効果はあまりなかったようだが、
俺はちょっと興味が沸いていた
その女の子をAとしよう
俺はその後放課後になれば
放送室でAに洋楽について
いろいろ教えてもらっていた。
Aも嬉々として俺に色んな
ことを教えてきたが、
正直に言うとさっぱり理解
できなかった。
ただ、もの凄い勢いで勧めて
きたLet it beを
聴いて泣きそうになった
事だけは覚えてる
他の部員3名は、麻雀を
覚えようと夢中になっていた
ちなみにだいぶ飲んでるので
ゆっくりになるが知らん、
責任はとらん
話の流れもめちゃくちゃかも
しらんが知らん、
部員紹介しとくか
俺 スーパー天才池面
ごめん嘘 フツメン
ちょっと勉強ができるフツメン
友人 天才池面 こいつは
マジもんの天才
A子 ちょっと天然入ってる
B子 メガネ 性格男みたいな女
あと一人は途中で転校
したので覚えていない
その後も部活動では
少年らしくピンクな話もしていたが、
実際はやっぱりチキンなので
あんまり大した話はしていなかった。
後は自分たちで番組作ってみたり、
受験に向けて勉強してみたり、
麻雀やってたりひたすら洋楽
聴いたりで部活を引退した。
その頃俺の成績はちょっと
上がって上位10%に
入るくらいだった。
親や教師は県No.1の
進学校にいけと言っていたが、
その後大学を卒業するまでの
金を親に負担させるのは
イヤだったため、
高卒で働くために商業高校へ行った。
母は進学校に行けと俺をぶん殴ったが
だが断ると華麗に商業高校
合格する俺まじ親孝行
あ、重要な事抜けてたわ
大体中二の冬くらいにA子と
付き合い始めた。
といってもやってる事は
あんまり変わらず上に書いたように
ずっとぐだぐだ洋楽について
しゃべってたりしてただけ。
高校は部員全員別々になった。
入った高校には放送部も無く、
俺はエリート帰宅部となり
バイトに精を出した。
A子とは細々とお付き合いを
続けていた。
俺の高1の誕生日に
マフラーをもらい、
巻いてあげると言われて首に
手を回され
身長が30cmあったので、
背伸びしてもとどかず
ジャンプしてしがみつく
ようにキスしてきた。
俺リア充wwwwwwwww
お前らざまぁwww
間違えた、身長差30cmだ
そんで高校でも特別面白い事は無く、
童貞のままトップ近くの
成績を維持し、
3年になる頃にはアホ
みたいに資格を取り、
高校生で今までとった奴の
居ない資格を取り
新聞の地方面に乗ったりもした。
その後就職シーズンになり、
余裕でハイパー大企業に
内定をもらった。
地元にでかい分社があり、
実家から通えるという事も
決め手だった。
その後卒業前に放送部の
面々と集まって話して
分かった部員の進路
友人
→京大 まじはんぱねぇ
A子
→普通の大学
B子
→専門 保母さんになると喚いていた
そして就職
まwwwwwwじ
wwwwwwwwwwwww
激務
wwwwwwwwwwwwwwww
残業時間3桁
wwwwwwwww電卓
打っても打っても計算
終わらないwwwwww
むwwwwwしwろ
wwwwww増えていく
wwwwwwwwwwww
錬金術wwwwwwwww
等価交換ってしってるか
wwwwwwwwwwwwwwwwwww
ただし残業代は満額払わ
れたのでとんでもない給料になった
使い道も無く実家
暮らしなので母親と俺が
暮らせるだけの金以外は全て
貯金に回した
ごめん吐いてくる
オッサン飲み過ぎ
wwwwwwwwwwww
そのまま戻ってくんな。
色んな意味で戻ってくんな。
リバースしてきた、俺
超地球にエコ、だがこれは
エゴに過ぎなかった
ちょっとスピード上げる
金を使う暇も無いくらいに
忙しかったので、
ありえない勢いで金が
溜まっていった替わりに
2県隣で一人暮らししている
A子とは滅多に会えず、
少しづつ疎遠になっていった。
あっという間に2年がたち、
成人式で再び放送部の面々が集まった
友人は相変わらずの天才で、
わけの分からない話をしていた
A子はどこにでも転がって
そうな普通のおとなしい
女の子だった。
中学生からなんら容姿が
変わっていない
B子は垢抜けていて、
ビン底みたいだったメガネが
セクシーメガネに変わって
いた 順調に行けば保母に
なれるといっていた
セクシー保母だ うらやましい
あれ、エヴァの
まきなみとかいう奴みたいなあれ
その後春過ぎに、
相変わらずの残業を終えて
日付が変わる頃に帰宅したら、
家にA子がいた。
「親が蒸発して、学費も何も
無くなって大学辞めてきた。
家事一切をするので泊めてください」
と涙目で言った。
母親は既に泊める気でいたらしく、
俺の部屋だった筈の所には
A子の荷物が置かれていて、
俺の私物は全て廊下に出されていた。
もともとそんなに私物は
無かったのが救いだった
この時に初めて知ったのだが、
A子の方も片親だったらしく
小学校の頃に母親が病気で
亡くなった。
親類をいろいろあたって
みたがどこにも連絡は行っておらず、
捜索願も出したがまったく
音沙汰は無かった。
こんな変な形で、同棲生活が始まった
部員一人いなくなってね?
引っ越して、成人式も場所が違った。
ちなみにA子の外見について
語っておく
身長は150cm弱で、
細めの体系 髪の毛は
肩くらいまでで軽い内巻き
顔は普通 多分普通 似てる
人はいないけど普通
中学校からずっとこんな感じ
A子は掃除洗濯炊事などなど
しっかりやってくれていて、
体を壊しかけていた母も
助かったといっていた。
ただ料理がおいしすぎて、
俺が少し太った。
幸せ太りという奴か
その1年後、A子の誕生日に
結婚した。
ちなみにまだ純潔
ようやく結婚したけどまだか…
そのまま結婚かよ
結婚すると配慮により少し
残業が減り、
10時前には帰れるようになった。
休日も2日取れた。
少し稼ぎは減ったがそれでも
母とA子を養っていくには
十分すぎた。
ある長期休みを前にして、
A子が俺に「温泉に行こう」
と言ってきた。
母親も
「私はめんどくさいから
二人で行って来い」
というので、
二人で少し遠い場所にある
温泉旅館へ出かけた。
その晩、A子に襲われた。
「いつまで待たせるの」と
真っ赤になりながら言った。
効果は抜群だった。
その夜、大人の階段を登った
純だ
すごくいい
効果は抜群だった。
コレに吹いたwwwwww
A子の いつまでまたせるの!
こうかはばつぐんだ!
その後何度か体を重ねた。
新婚にしては少ない
ほうだったのかもしれないが、
母親が居たので仕方が無い。
確かそれから1年半ほど経って、
妊娠が発覚した。
皆で喜んだけど、しばらく
して母親が倒れた
肺が悪かったらしい。
タバコとか酒を一切やらない
人だったので、
驚いた。
医者は命にかかわる事は
ないが入院は長くなると
言っていたので
ちょうどいい機会だから
仕事もやめてゆっくり休ま
せることにした。
A子が毎日見舞いに行き、
母親の世話をしてくれていた。
そんなA子の腹も少しづつ
大きくなり、
無理をさせるのはいけないと思い、
俺が仕事を休み、母親と
A子の身の回りの事を片付けていた
ハイパー大企業意外に休み
くれるんだな
パナソニックだったかに
一週間夏休み貰ってる奴がいた、
もちろんお盆別な
ハイパーだからな
出世してるんじゃない
高卒だからあんまり出世はし
てなかったけど、
そういうところはさすがに
ハイパー大企業だった、
金もちゃんと払われてたし
そして臨月
A子はかなり小柄だったので、
帝王切開をする事になった。
A子は笑って
「元気な子を産んでくるよ」
と言った。
ちなみにまだ俺には性別は
知らされていなかった。
手術も成功し、母子ともに
健康 2951グラム、
女の子だった。
A子の名前が○○子だったので、
それに倣い「有希子」と
名づけた ちなみに長門は俺のもの
術後も特に問題は無く、
早めに退院。
ついでに
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犬小屋で凍えて絶命寸前の
同級生(8)が寝ていたのが修羅場。
もう20年以上前の話。
当時のことをちょっと
思い出してしまったので投下
しにきた。
宗教・キチ・長文・胸糞
当時8歳。
うろ覚えのところもあるから
そこは推測も混じる。
同級生=以下Bとする。
以上がアウトな方は回避推奨です。
Bは小学校に入ってすぐ転校
(1年生の途中)
してきた。
詳しくは知らないけど
祖父母の元に母親と身を
寄せていた風。
そこまでは珍しい話じゃないけど、
その家の祖父母がおかしな
宗教にハマっていたことから
近隣は遠巻きにしていた。
私とBは家が近所だったから
登下校で毎日一緒になっていた。
(集団)
Bは冬でもTシャツ
半ズボンだったから当時の
私には異様に見えた。
私の地元は毎年冬には20
30cmの積雪がある地方。
そんな中をTシャツと
半ズボンだけで外に出すなと
近隣の大人が何度も言ったそうだが、
祖父母は耳を貸さなかったそう。
クラスがいっしょだったから、
給食の時に
「家で食べさせてもらえない」
って聞いて以来、
食が細かった私は毎日
おかずとか牛乳とかをあげて
いたのを覚えている。
今でいうネグレクトだが、
どうもこれは宗教かぶれの
祖父母の教育方針で
「薄着の方が強く育つ」
「〇〇様のお告げで子供に
贅沢をさせてはいけない」
という理由かららしい。
(母談)
見かねた大人が子供のおさ
がりをあげても祖父母が処分
するという悪循環。
当時の近隣の大人たちの
心境は
「関わりあいたくない」
「かわいそう…」という
感情が混じり、
祖父母の眼に触れない範囲で
ご飯を食べさせたり、
登校の際に上着を貸して、
下校の際に返すように
言ったりしていたそうだ。
当時児相とかがあったのかは
わからないけど、
大人たちは学校に相談したり、
担任が直訴に来たり色々して
いたようだ。
二年生の夏休みに脱水症状で
道端で倒れているところを
うちの母が保護したこともある。
それがきっかけで体調がよく
なってからBは家で夕飯を
食べていくようになった。
こう書くと典型的な放置子を
拾ってしまった風にも見えるけれど、
Bは放置子にありがちな
悪ガキではなく、
食べた食器を自分から洗ったり、
弟(3)をあやしてくれたり、
大人と会話をする時に敬語を
使っていたりと、
その年の子供にしては
しっかりしているいい子(母談)
だった。
毎日うちでご飯を食べている
ことを気にしていつも私に
謝っていた。
冒頭の出来事が起こったのは
本格的な冬がはじまったころ。
その日私一家は家族で日帰り
温泉旅行に出ていて留守にしていた。
帰りの車の中で
「今晩にも雪が降り始めるね」
とか言いながら帰宅したのを
覚えている。
家に戻ったら、犬がきゅーん
きゅーんっていうか、
くぅーんっていうか、
とにかく鳴いていた。
当時飼っていた犬は中型
犬だったけど、
亡き先住民の猫のお母さん
(気が荒かった)
に育てられたせいか性格が丸く、
無駄吠えとかはしない
子だったから家族全員
不思議に思った。
基本は室内飼いで家族が
留守の時だけ外につないで
いたから家族が戻ってくると
早く家に入りたいから寄って
きたのに来る気配もなく、
ただ助けを求めるような声で
鳴いていた。
小屋を覗いた父がガチガチに
凍えたBを発見した。
霜が降ったみたいに髪が白く
なっていたそうだ。
この時点で私は犬と部屋に
いろと両親に言われ、
パニックを起こす暇もなく
部屋に入った。
(絶命寸前の同級生を8歳の
娘に見せるわけにいかないと
配慮したそうだ)
両親があわただしくしている中、
近所に住んでいる母の妹が
来てくれて私についていてくれた。
すぐ呼んだ救急車に母が乗り込んで、
父がBの祖父母宅に
怒鳴り込んで行った。
Bは朦朧としていたけど
意識はあって、
両親や駆け付けた救急の人の
質問に
とぎれとぎれだったけど
ちゃんと答えたそう。
キチ祖父母、雪が降っても
おかしくない気温のなか
子供に頭からホースの
水をぶっかけて、
朝まで外で過ごせと放り出さ
れたそうだ。
「悪霊を祓うためにカンゴリ」
だってさ。
怒鳴り込んだ父が逆切れされ、
B祖父母宅でもみ合いに
なったらしく24騒ぎ。
危うく父が訴えられる
ところだったが、
孫の命を奪いかけた祖父母が檻行き。
Bは肺炎を起こしてしばらく
入院した。
幸いというには複雑だけど
発見後の両親の処置が
よかったようで凍傷には
ならなかった。
(雪が降らない地方の人には
ピンとこないかもしれないけど、
濡れた状態で0度近い気温の
外に半袖半ズボンで数時間
いたら手足が凍傷になっても
おかしくない)
そんな息子を見舞うことも、
退院を待つこともなく母親が失踪。
呆れたことにB家は健康保険
未加入だったらしく、
保険証がない状態で高騰した
医療費が救急車を呼んだ
両親にかぶった。
近隣、担任、うち両親が
総出になってBの失踪した母親と、
生きてるのかわからない父親を捜し、
退院する直前に父親の所在が
わかった。
(どう調べたのかは不明)
父親、すでに再婚して
いたらしく医療費だけは
支払ったものの引き取り拒否。
結局Bは施設に行った。
写真を整理していたら
19歳で天国に召された犬の
写真が出てきて、
その時のことが思い出さ
れたので書き込みにきた。
あの時父が言うには犬の
ほうがBに覆いかぶさって
いたらしいから、
小屋に入ってきたBを
一生懸命あっためていたんだと思う。
幼かった弟がいたずらしても
反撃したり吠えたりしない
子だったし。
退院した後のBがどう
暮らしているのかは知らない。
一度うちに手紙が来て、
母が返事を書いたけどそれ
以降の連絡はなかった。
(私も読んだけど内容はもう
覚えていない。
ご飯を食べさせたことや、
手足がちゃんと動くこととか、
助けてくれてありがとう的な
ことが書いてあったと思う)
今幸せに暮らしていることを願う。
これまた修羅場というべき修羅場だな
Bは幸せに暮らしていると願おう…
ワンコも偉いな
が友達だった、ってことは
Bにとって凄く救われたんだろうね
ご両親もワンコも素晴らしい
Bがどこかで普通に幸せに
暮らしていますように
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