【有意思的老文件袋~】
昨天下午在舊貨市場結識了一位日本籍的攤主福島さん,向他買了一只漆器小碗,打算用來裝味噌湯,我們法文夾雜日文七七八八的卻聊得挺投緣,但是那天他攤子上的舊貨狀況都不太好,我看了一會兒只覺得兩只漆器碗算是很不錯的,但其中一只容量比較大的在邊緣處斷裂了一小塊,所以只買了另一個狀況完美的小碗。我向福島さん表示這只大碗缺了一小塊實在太可惜了,不然真的是一件漂亮的漆器呢!福島さん立刻找出斷裂的那一小片,連同大碗一起塞給我說:「送你當禮物,説不定你可以將它修補好。」我很驚喜的表示自己正在研究日本傳統以漆膠和金粉來修補陶瓷和漆器的「金継ぎ」技術,剛好可以試試看,非常謝謝他。然後在一堆舊紙張中發現了一個以毛筆寫著「明治二十九年十月 同盟會書類 事務所」的老紙袋,看起來像個公文信封,眼睛一亮,拿起來問福島さん這是什麼?他聳聳肩表示就一個老公文袋,我喜歡就送我囉!謝過福島さん並答應下個週末再到他的攤子來逛逛,因為他說好東西下個週末才會擺出來。接著就發生了昨天貼文所描述意外買到古伊萬里大皿的事。帶著皮爺和Billy Boy離開蒙馬特山腳來到10區,我表示先找間咖啡店的露天座位坐下來,有個好玩的東西要送皮爺。坐定之後,我將那個老公文袋掏出來:「喏,這個送你。」皮爺雙眼發光:「哇塞!同盟會吔!」我立刻澆一盆冷水要他別那麼一廂情願的激動。首先,明治29年是公元1896年,兩年前也就是1894年,興中會在檀香山成立,但是同盟會卻是九年之後的1905年也就是明治38年才在東京成立的;國父孫中山確實曾於1895年11月至1896年1月停留日本,但是公文袋上寫著的明治29年(1896年)10月,當時國父正在英國發生了倫敦蒙難事件,而且到了1897年在英國完成三民主義思想體系時他才開始有「大同盟」的概念。「同盟會」在日文裡本來就可以看做是普通名詞,而將「会」寫成「會」在19世紀末的日本很常見,「書類」在日文漢字的意思就是「文件」,至於「事務所」則指的是「辦公室」,所以這一切在我們眼裡只是一個有趣的巧合,但還是滿懷誠意的送給曾是革命軍人的皮爺做為紀念禮物。皮爺很喜歡,回家之後掛在櫃子門上以示在這個驚濤亂局中「不忘初心」。
同時也有1部Youtube影片,追蹤數超過7,420的網紅まとめまとめの,也在其Youtube影片中提到,【まとめのまとめ】 チャンネル登録はこちら https://goo.gl/QN6ioA うちの実家は元々旅館で、 祖父が他界したときに 後継者がいないからと廃業にした 老舗旅館だったためにかなり いい陶器や漆器があって、 親戚で目利きのできる人が 一部を買っていった 残った物も、よい品は ...
漆器 金継ぎ 在 まとめまとめの Youtube 的最讚貼文
【まとめのまとめ】
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うちの実家は元々旅館で、
祖父が他界したときに
後継者がいないからと廃業にした
老舗旅館だったためにかなり
いい陶器や漆器があって、
親戚で目利きのできる人が
一部を買っていった
残った物も、よい品は
美術館や郷土資料館に寄贈して、
それでも余った分は親戚や
近所の欲しい人が持っていったので、
ゴミ以外は何も残らず綺麗にさばけた
建物は父が相続したけど、
管理が大変でどうしようかと
親戚で相談しつつしばらく
放置してたら
他県の人から、建物を破格の
値段で買いたいという話が来た
(そこで商売をしたかったとか)
相手の希望で、建物内の
家具等はそのまま引き渡す
ことになったけど、
器は前述のとおり人手に渡っ
ちゃってるので
その旨を伝えたら
「建物を買い取って欲しければ、
器を残らず回収してセットにしろ」
と言われてスレタイ
「別に買い取って
いただかなくて結構」
と父が怒ったら、
予想外のリアクションだったらしくて
「いいの?本当に手を引くよ?
他に買い手なんてないんでしょ?」
みたいに慌ててたけど
父は極端に頑固な人なので、
一度売らないと決めたら
売らないんだと一蹴
「じゃあ器はいいから」と
相手が折れても、
頑固親父はてこでも動かず
すごく古いから歴史的価値は
あるのかもしれないけど、
修繕するのにものすごい
お金が必要だし、
自治体からの助成金なんて
万が一出たとしても雀の
涙だろうから、
直すとなると本当に大変
相手はその辺を突っついて
きたんだけど、
父は
「誰が直すと言ったんだ」と
鼻で笑って
いい機会だからと、その
年の内に建物を壊して更地に
してしまった
親戚の間でも
持て余し気味だったから
「いいんじゃない」って
感じで誰も反対しなかった
相手の人は実は本当にその
建物が欲しかったらしく、
自治体にどういう交渉をしたのか
役人を1人連れてわざわざ
工事現場まで来た
でもそのときにはもう建物半壊の状態
役人も
「個人の資産ですし、
言っても文化財になるような
ものでもないから」
とやる気なしな感じで
壊されていく建物を2人して
眺めてたw
建物内の家具で状態のよい
ものは人に引き取って
もらったんだけど、
あとからそれをどこかで
聞きつけたのか例の人から
「せめて家具だけでも譲って
くれたらよかったのに」
と恨み言の電話がきてまたスレタイ
たまたま電話に出たのが
父だったもんで、
怒り心頭でぶちきれたら
懲りたのかその後は何の連絡もない
途中で送ってしまった…
おとぎ話みたいな話ですね。
建物も家具も器もゲットを
目論んでたんだろうけどね。
建物だけで満足してれば
良かったのにね。
確かにおとぎ話みたいw
乞食根性出さなきゃ建物は
家具込で買えたのにね。
母が言うには、あちらが提示
した金額っていうのが相場の
倍近かったらしく
家具込みだとしても、
ちょっと破格すぎるくらいだったって
いくら観光地の中の土地としても、
どんどん鄙びていってるところだから
そこで一攫千金をもくろむ
のもおかしい話だし
酔狂な金持ちなのか、
極端な世間知らずなのか、
それとも何か狙いがあったのかと、
両親は話が来た当初から警戒
してたそうな
寄贈した器の中にはそれこそ
文化財になったものもあるから、
それが狙いだったのかも?
クレクレコジキを撃退した父上GJ!