お久しぶりです。
仮面女子の猪狩ともかです。
この度は沢山の方々にご心配をお掛けしてしまい、大変申し訳ありません。
私は4/11(水)に強風で倒れた看板の下敷きになってしまうという事故に遭いました。
その日は強風でした。ニュースになるくらい日本の各地でとても強い風が吹いていたそうです。
私はいつものように歩道を歩いていました。
突然強い風が吹き、建物の大きな看板が倒れてくるのがわかりました。
看板があまりに大きすぎてとっさに避けることはできませんでした。
気付けば看板の下敷きになっていました。
出せる精一杯の声を振り絞って「助けて…!」と口にしました。
その時はとにかく苦しく、早く楽になりたいという思いでした。
それからすぐのことだったと思います。
通行人の方が看板を持ち上げてくださって、救急車に運ばれました。
後から聞いたお話では、看板は建物の敷地を飛び越え歩道全体に覆いかぶさっていた状況だったそうです。
それから緊急手術を受け、ICU(集中治療室)に入院しました。
その後、HCU(高度治療室)を経て現在は一般病棟に入院中です。
主に負った怪我は、
・瞼裂傷
・頭部挫創
・骨折(脚、肋骨、胸椎、腰椎)
そして、
・脊髄損傷
その影響で両下肢麻痺。
私は歩くことはもちろん、自分の力で脚を動かすことすらできなくなってしまいました。
治る可能性は極めて低く、
今後、車椅子での生活を余儀なくされました。
体調・怪我は徐々に良くなり、今は自立した車椅子生活を送れるよう毎日リハビリに励んでいます。
退院は今から約3ヶ月後の予定です。
ずっと心配してくださっている皆さんにまずは早く「私、大丈夫だよ!」って言いたくてもどかしい日々が続きました。
でも私自身、状況を把握・受け入れるのに相当な時間が掛かりました。
なんて伝えたらいいんだろう?
私も時間をかけて受け入れたのに、いきなり【脊髄損傷】という事実を文字にして伝えたとき、応援してくださっている皆さんに更に悲しい思いをさせてしまうんじゃないか…。
自分自身が受け入れることに時間がかかったこと、ファンの皆さんに何とお伝えしたらいいか分からなかったこと、そんなことを考えていると、なかなか文章にまとめることができず、ご報告が遅くなってしまいました。
ごめんなさい。
きっと私自身、これから両下肢麻痺と付き合っていく生活について、知らないことがまだ沢山あると思います。
主治医から私への説明は、
「脚の感覚が戻るのには個人差があるので何とも言えません。とにかくリハビリを頑張ってね。」
とのことでした。
脊髄損傷について無知な私は、
「数ヶ月で治るのかな?」
「復帰のステージは笑顔でファンの皆さんに会いたい!」
「また始球式をやらせて頂ける機会があったら次こそノーバウンドで!」
なんて、ベッドの上で考えていました。
私には【脚が動かない】という未来が見えていなかったんです。
手術から数日後、父と姉と話しました。
姉「治ったら一緒にメットライフドーム行こうね!」
父「お父さんは甲子園も一緒に行きたいな。」
私「また始球式があるとしたらそれまでに治るかな!?」
父「車椅子でも投げられるんじゃないかな?」
私「えー、嫌だよ。治して投げる!」
父「…まぁ今はリハビリを頑張ろう。」
精神科医とも色々お話をしました。
突然 脊髄損傷で脚が動かなくなった患者に対しては、主治医と共に精神科医もつくそうです。
きっと家族や事務所、病院の先生方は私がショックを受けないように細心の注意を払ってくれていたと思います。
周りの反応や発言でだんだんと自分が思っているのと違うと感じたのは、HCUに移ってからのことでした。
その日は母と兄が面会時に来ていました。
本当のことを知ったら私は深くショックを受けるかもしれない。
でも覚悟を決めて質問をしました。
私「脚は治らない可能性の方が高いの?」
母「……うん。」
私「私に隠してた?」
兄「今はまず生きていく為に体調を戻さないとだから。」
私「そっか。」
母「でも先生はリハビリを頑張れば奇跡的に脚が動くこともあるって言ってたよ。それを信じて頑張ろう。」
私は歌も踊りも特別上手くはないけど、ステージに立ってライブをして楽しんでくださる皆さんの笑顔を見ると、またそれで自分が笑顔になって…
ファンの皆さんのおかげで“アイドルの猪狩ともか”でいることができる。
そんな時間が大好きです。
だからもちろん
【ステージ復帰】を目指していました。
でもこの事実を知って…
“歌って踊らなくなる時 = 卒業”
としか考えたことがなかった私は、踊れない猪狩ともかを想像することができなくて。
そんな状態の私に需要はあるのか。
いったい何ができるのか。
絶望しました。
事故に遭うまでこの先ずっと普通に歩けると思っていたし、踊れると思っていました。
急に脚が自由に動かせない、自分のものじゃなくなったような感覚になると思ってもいませんでした。
でも不思議と
“仮面女子としての活動を辞める”
という考えに至ったことは1度もありませんでした。
今後どうしたいか考えたときに
“車椅子の猪狩ともか”としての活動を
自然と想像している自分がいました。
そう思わせてくれたのは
支えてくれる周りの全ての人でした。
「車椅子に乗っていたって人を幸せにしたり喜ばせたり、誰かの希望になることは出来るよ。」
「ともちゃんは人を楽しませる、幸せにすることのできる子だから、どんな形であってもそれを続けてくれたら嬉しい。」
という家族の言葉。
「車椅子に乗って色んな場所行こうね!いっぱい遊ぼう!おばあちゃんになっても!!」
という友達からの言葉。
「その明るさで周りのリハビリ頑張っている皆さんのことも明るくしてください。みんなの光になってください。」
という先生の言葉。
「スタッフ全員、猪狩ともかと共にずっと活動していくって気持ちでいるよ。猪狩のやりたいことを叶えたいから何でも言ってね。」
という事務所からの言葉。
「どれだけ時間がかかっても待ってるから。いつでも戻ってこれるようにライブ盛り上げてステージ守るからね!」
というメンバーからの言葉。
そしてファンの皆さん。
劇場で黄色サイリウムや横断幕を掲げてくれて、回復祈願をしてくれたこと。
心を込めて千羽鶴(1209羽)を折ってくれたこと。
皆さんが一羽一羽心を込めて折ってくださったのと同じように、私もベッドの上で一羽一羽数えました。
#いがともちゃんがんばれ
という応援ツイートも見れる限り読ませて頂きました。
きっとハッシュタグがついていなくても心配や応援してくださる声が、たくさんあったと思います。
お手紙もたくさん受け取りました。
皆さんの温かさに何度も救われました。
夜にひとりで不安になったとき、皆さんの言葉が本当に救いでした。
皆さんの気持ちは確実に私に届いています。
心からありがとうございます。
私が大切な節目によく言う言葉、
【希望の光になりたい。】
こうなってしまった今もこの気持ちは変わりません。
脚が動かなくなっても、車椅子に乗りながらやりたいことはたくさんあります。
仮面女子の曲を作詞したいです。
ラジオや講演、司会など、お話する仕事をしたいです。
生きている限り埼玉西武ライオンズの応援をし続けていきたい、野球のお仕事をしたいです。
今回の事故を自分自身のために残すため、手記を本にしたいです。
挙げればキリがありません。
今までとは方向性は変わるけど、何かを発信していきたいという気持ちは何ひとつ変わりません。
そして最終的にはやっぱり、これは“神様の存在”とか“奇跡”という言葉になってしまいますが、脚が元通り動くようになって【アイドルとしてステージで踊りたい】です。
幸せなことに、待ってくれている人たちがたくさんいます。
このことが私の最大の励みになっています。
時間はかかるかもしれません。
元通りは無理かもしれません。
でも必ず笑顔で「久しぶり!」って元気な姿で皆さんに会いたいです。
事故があったあの日、まさか自分がこんな目に合うとは思っていなかったです。
家族も友達も、事務所のスタッフも、メンバーも、ファンの皆さんも、誰も思っていなかったでしょう。
あの日、たまたまあの時間に歩道を歩き、たまたま私が大きな看板の前を差し掛かったときに特別強い風が吹き、看板の下敷きになりました。
もし、看板の前に到着する前に、靴ヒモがほどけて直していたり、誰かから電話が鳴って歩みを止めてお話したり、喉が乾いて自動販売機で飲み物を買ったり、わずか数秒でも手前で何かをしていたら私は事故には遭っていませんでした。
もし、なんてことはないのは分かっているけれど、色んな偶然が重なって私の両脚は動かなくなってしまいました。
でも、命が助かりました。
目撃者のお話によると現場は酷い状況で、命が助かっただけでも有難い状況だったそうです。
私は生きています。
このことだけは何にも代えることのできない神様からのプレゼントだと思っています。
その分試練も与えられたけど、きっと越えられない試練は与えないはず。
よく、ドラマや映画で「明日何があるか分からない、今を大切にしよう。」という言葉を聞きます。
今までその言葉を大切にしてきたつもりではあったけど、改めて本当にその通りだと思います。
だからこれからどんなことがあっても、
向日葵のように上を向いて楽しくて幸せな人生を歩んでいく。
そして毎日を丁寧に大切に生きていきたい。
私は前を向いています。
もう心配しないでね。
これからも猪狩ともかを見守ってください。
そして一緒に歩んでいければ嬉しいです。
この先もずっと、よろしくお願いします。
It's been a long time.
It's also a masked girl igari.
I'm very sorry for worrying about so many people this time.
I was in an accident on 4/11 (Wed) that it was going to be the bottom of the sign that fell down with a strong wind.
It was a strong wind that day. It seems that there was a very strong wind in various places in Japan in the news.
I was walking on the sidewalk as usual.
I see that suddenly the strong wind blows, and the big sign of the building is falling down.
The sign was too big, so I couldn't avoid it quickly.
It was on the bottom of the restorative sign.
I said, " help me... with the best voice I can get.
At that time it was painful and I wanted to make it easier.
And I think it was right away.
A passerby was transported to an ambulance to lift up the sign.
From later on, it seems that the sign was covered in the whole sidewalk of the building.
Then I got an emergency surgery and I was hospitalized for ICU (Intensive Care room).
After that, I'm currently hospitalized in the general ward after the hcu (Advanced Treatment room).
The injury of the Lord is the one who is the one
Eyelid laceration
The head of the head
Fracture (legs, ribs, thoracic spine, lumbar vertebrae)
And then
Spinal damage
Due to the influence, both lower limb paralysis.
I couldn't even move my legs with my own power to walk.
The possibility of being cured is extremely low,
In the future, I have been forced to live in a wheelchair.
Health injuries gradually get better, and now I'm encouraging rehab to send an independent wheelchair life.
Discharge is about 3 months from now.
To all of you who have been worried about me, I wanted to say " I'm okay!" the days have continued.
But myself, it took a lot of time to figure out the situation.
What should I tell you?
I also accepted it in time, but when I told the fact that it was suddenly [spinal damage.... I'm going to make you feel even more sad....
I didn't know what to say to all my fans that I had time to accept it, and when I thought about it, I couldn't put it together in the writing, and I was late to report it. Yes.
I'm sorry.
I'm sure there's still a lot of things I don't know about the life that I'm going to get together with my lower limb paralysis.
My Doctor's explanation of me,
" I can't say it because there is individual difference in the sense of legs to return. Good luck with your rehab anyway."
That's what I was talking about.
I'm ignorant about spinal damage,
" I wonder if it will heal in a few months?"
" the stage of return is a smile and I miss you all my fans!"
" if you have a chance to be able to do the first pitch again, next is the no bound!"
What a thought on the bed.
I didn't see the future that [legs don't move]
A few days after the surgery, I talked to my father and sister.
Sister: " Let's go metlife dome together when it's healed!"
Father: " Dad wants to go with koshien too."
Me: " if there is another pitch ceremony, will it be cured by then!?"
Father: " I wonder if I can throw a wheelchair?"
Me: " eh, I hate it. Heal and throw!"
Father "... well now let's do our rehab."
I talked about a lot of things with psychiatrist.
It seems that there will also be a psychiatrist with a doctor for a patient who has suddenly lost his legs with spinal damage.
I bet the family, office, and hospital teachers paid close attention to me not to be shocked.
It's been a long time since I moved to hcu that I felt different from what I think about the reactions and remarks around me.
My mother and brother came to see me on that day.
I may be deeply shocked if I know the truth.
But I was prepared and asked a question.
Me: " legs are more likely not to be cured?"
Mother "...... yeah."
Me: " I hid it?"
Brother: " now I have to get back to life."
Me: " oh yeah."
Mother: " but the teacher said that if you go to rehab, you can miraculously move your legs. Let's do our best to believe it."
I don't even sing and dance special, but when I see everyone's smile that I'm going to stand on stage and enjoy it, I'm going to have a smile again...
Thanks to all the fans, I can be "idol igari"
I love time like that.
So of course
I was aiming for [stage return]
But know this fact...
"when you sing and don't dance = Graduation"
I've only thought about it, and I can't even imagine igari who can't dance.
Is there a demand for me in such a state?
What the hell can I do?
I'm desperate.
I thought I was going to be able to walk in a normal way until I was in an accident, and I thought I'd dance.
I can't move my legs freely, I never thought I'd feel like my own.
But wonder
"quitting activities as a masked girl"
I've never been to the idea of 1 degrees.
When you think about what to do in the future
Activities as "Wheelchair Igari"
I had myself that I imagine nature.
That made me think so
It was all the people around you who supported me.
" when you're in a wheelchair, you can make people happy or happy, and you can be someone's hope."
" I would be happy if you continue to do it in any form, because you are a child who can make you happy and happy."
The Word of the family.
" Let's go in a wheelchair and go all kinds of places! Let's play a lot! Even when I become an grandma!!"
A word from a friend.
" please light up all of you who are working hard on the rehabilitation around you with its brightness. Be the light of everyone."
The Word of the teacher.
" I feel like I'm going to work all the time with the whole staff, igari. Say anything you want igari to do."
Words from the office.
" I'm waiting for how long it takes. I'll make a live show and protect the stage so I can come back anytime!"
A word from a member.
And all the fans.
What a prayer and prayer for holding yellow thanos and banner at the theater.
It's been a long time since I've been in the middle of a paper cranes.
Just as you all broke with one feather, I also counted one feather on the bed.
#いがともちゃんがんばれ
I was able to read it as long as I can see the cheering tweet.
I think there was a lot of voices that were worried and cheering on me even if I didn't have a hashtag.
I received a lot of letters.
I've been saved by your warmth many times.
When I was anxious at night, everyone's words were truly saved.
Everyone's feelings are definitely delivered to me.
Thank you very much from the heart.
Words that I often say to a milestone that is important,
[I want to be the light of hope.]
This feeling doesn't change even now.
There's a lot of things I want to do while riding a wheelchair even if my legs aren't moving.
I'd like to write a song of a masked girl.
I want to do a job to talk about radio, lecture, emcee, etc.
I want to keep supporting saitama seibu lions as long as I live, I want to do a baseball job.
I want to book a note to leave this accident for myself.
There is no got.
The direction is changing until now, but the feeling that I want to send something is not changed.
And in the end, this is the word " God's presence " and " miracle but the legs are moving back, and I want to dance on stage as an idol.
Happiness, there are a lot of people who are waiting for you.
This is my biggest encouragement.
It may take some time.
You may not be able to get back to it.
But I'm sure to smile, " it's been a while!" I want to see you all in a good way.
That day when there was an accident, I didn't think I'd ever see this.
No family, no friends, no office staff, no members, no fans, no one would have thought.
On that day, I happened to walk on the sidewalk at that time, and it happened to be a special strong wind when I was in front of the big sign, and it turned out to be a sign of the sign.
If the shoe pimp is untied and fixed before I arrive before the sign, someone calls me to stop walking and talk, thirsty and buy drinks on vending machines, just a few seconds I wasn't in an accident if I was doing something in front of me.
I know it's not a thing, but there's a lot of coincidences, and my legs aren't moving.
But my life was helpful.
According to the witnesses, the site was a terrible situation, and it seems that it was a good situation to be able to save life.
I'm alive.
I think this is a present from God who can't replace anything.
I was given a test, but I'm sure I won't give you a test that can't be crossed.
I often hear the word " I don't know what tomorrow is tomorrow, I will take care of it."
I was going to take care of the word until now, but I think it's really true.
So no matter what it is from now on,
Looking up like a sunflower and walking in a fun and happy life.
And I want to live every day carefully and cherish.
I'm looking forward.
Don't worry about it anymore.
From now on, please watch over igari too.
And I would be happy if I could walk with you.
Thank you very much for your continued support.Translated
同時也有1部Youtube影片,追蹤數超過7,420的網紅まとめまとめの,也在其Youtube影片中提到,【まとめのまとめ】 チャンネル登録はこちら https://goo.gl/QN6ioA 書きたい事が多すぎて長文に なってしまった。 私と妹はすごく仲の良い姉妹で、 昔兄が住んでた木造平屋の 賃貸を二人で住んでた。 その一軒隣に両親の家がある。 ある日仕事から帰ると、 何やらガラの悪そう...
脊振 読み方 在 まとめまとめの Youtube 的最讚貼文
【まとめのまとめ】
チャンネル登録はこちら
https://goo.gl/QN6ioA
書きたい事が多すぎて長文に
なってしまった。
私と妹はすごく仲の良い姉妹で、
昔兄が住んでた木造平屋の
賃貸を二人で住んでた。
その一軒隣に両親の家がある。
ある日仕事から帰ると、
何やらガラの悪そうな
スーツを着た男が何人か
うろうろしていた。
見るからにその筋の人達で、
なんか嫌な予感がした。
近所でいち早く情報をゲット
した人の話によると、
大家がこの一帯を売りに
出したと言う。
そう、彼らは地上げ屋だった。
頭に来た母は大家に詰め寄った。
「住む所なくして心中でも
しろって言うのか!!」
大家の言い分は
「私も歳だしここを管理する
のはしんどい。
だから売りに出した。
あとは地上げ屋と交渉してくれ」
と言って逃げた。
その日から母と地上げ屋の
戦いが始まった。
町内会で集まって対策を練るも、
みんな地上げ屋が怖いからか
関わりたくないと言って
泣き寝入りする人続出。
残ったのは母とYさんの旦那さん。
あと23人戦うって言っ
てた人がいたが実質何もしない。
母とY旦那だけで地上げ屋と
交渉開始。
しかもうちの前w
子供たちは危ないから中にい
なさいと言われ、
玄関から聞き耳をたてていた。
危なくなったらなんとか
しようと思ってたので。
母の言い分
「出て行けと言うなら出て
行ってやらん事もないが、
出て行くのにはそれなりに
いろいろ必要」
地上げ屋
「それはもちろん用意してある。
うちの不動産の新築
マンションへ入ってもらえばいい」
母
「どんなマンションかも
わからないような所より、
立ち退き料を払え」
地上げ屋「50万出す」
母
「はあ?50万で何ができるんだ!」
地上げ「80万だ、それ
以上は出せん」
母
「200万出せ!
それで手を打ってやる。
じゃなきゃ出て行かない。
私が声をかければみんな出て
行かなくなる」
地上げ屋「ふざけんなババア!!」
母は胸倉つかまれ凄まれたが、
怯まない。
ここでY旦那が止めに入る
(Y旦那の役割)
ちなみに父はヘタレなので、
部屋の奥でおろおろしてるだけ…。
交渉は何日も続いた。
地上げ屋は一軒一軒脅しを
かけに来たらしいが、
みんなで立退料を
もらわなきゃ出て
いかないって口合わせた。
そして早く出て行って
もらいたい地上げ屋は折れた。
すでに自力で引っ越しって
行った人除いて、
今残ってる人達に
立ち退き料として200万
払うと言う約束になり、
母大喜び。
母英雄。
だが真の修羅場はここからだった…。
引っ越しの目途もたち、
50万あげるからあんた達
姉妹は二人で暮らしなさいと言われ、
私も大喜びw
どんな部屋を
借りようかなあと二人で
うきうきしていた。
その日は小雨だった。
私は部屋も探しに行きたいし
仕事を休んだ。
当時、妹と私は同じバイトを
していた。
二人で一緒に行く時は電車で
通勤していたのだが今日は
一人なので原付で行くねと、
妹は小雨の中を走り出して行った。
その間私は不動産屋へ行ったり、
お腹が減ったのでご飯を
買いに行ったりして、
母と一緒にご飯でも
食べるかと両親の家に
行くともぬけの空。
でもテーブルにメモが置いてあった。
それには震えるような文字で
病院名と電話番号が書いてある。
よく見ると兄の携帯番号も
書かれてあった。
母は昔から喘息持ちで、
何回か救急車のお世話に
なった事があった。
だから母の喘息の発作が
起きたんだと思って、
兄の携帯に電話した。
私「お母さん大丈夫?喘息出たの?」
兄
「お前どこ行ってたんだよ!!
妹が原付で事故って今重体な
んだぞ!!
背骨が折れてるから、
もう歩けないって言われた!!」
私「え…嘘」
あまりに突然すぎて思考が
停止するってあるんだなと思った。
なんかドラマのワンシーン
みたい…ってぼーっと考えてた。
私「私もそっち行く!」
兄
「いやこっちに来ても邪魔に
なるだけだし、
電話番しといてくれ」
そして夜になり疲れ切った
表情で帰って来る両親。
詳しい事を聞くと、どうやら
トラックと原付が接触したらしい。
妹は吹っ飛ばされ背中を強打。
その時に背骨を折って脊髄損傷。
両足は神経がマヒしてて
二度と歩けませんと言わ
れたと母は泣いていた。
ごめんまだ続くんだけど、
箇条書きのがいいかな?
読みやすい そのまま
途中までしか書いてなかったんで、
遅くなりますごめん。
翌日お見舞いに行ったら
ぐったりした妹が
「お姉ちゃん…なんか足が
おかしいんだけど」
ここで涙ぐんでしまう私と両親。
泣かないとみんなで決めた
のに泣きじゃくるヘタレ父。
「足の感覚がないよ、おかしい」
妹はずっとそれを繰り返してて、
まだ本当の事は言えずに
とりあえず落ち着いたら
きちんと話そうって両親と決めた。
ところが担当医は
「後に長引かせるだけ
本人にとっては残酷な事だと
思います。
なのでご家族の方が言い
にくいのであれば私が言います」
母はそれを断った。
一番カミングアウトするのに
適切な人物は誰か、
と考えたらやっぱり妹の
彼氏だろうと言う結果になり
そこから数日後、
彼氏に真実を話してもらう
事になった。
しばらく病室に二人で話して
もらって、
私達は外で待機。
話し終わったと聞かされて
妹の病室に行くと、
妹はニコニコしてる。
あれ?…なんかおかしい、
と彼氏の顔を見ると
「ちゃんと話しました!」←ドヤ顔
妹
「退院できる頃には歩ける
んだよね?」
私と母絶句。
お前何を話してたんかと…。
しかしその彼氏、
もう二度と歩けないと言う
真実を知ると妹を捨てた。
ここからがまた修羅場。
私は仕事を休み母と毎日
お見舞いに行く。
病院が遠いので電車で約
2時間かかる。
朝早く行って夜遅く帰る日が続く。
本来ならすぐに手術をして
背骨にプレートを入れたり
するのだが、
妹の体力が落ちてるのと、
強打した時に背中に溜った
血を抜くのが先だと言う事で、
後伸ばしになっている。
少しでも体を動かすと激痛が走り、
寝返りも自力でできない。
なので私達の顔を見ると
いつも痛い痛いと八つ当たり
してくる。
それが毎日続くとこちらも
心身共にくたくたになった。
そんな時、父が仕事を休んで
起きて来ない。
父は末っ子の妹がかわいくて
仕方なかったので、
よっぽどショックだった
んだねと母と言っていた。
だが次の日も休んで寝ている。
具合が悪いのなら病院に行き
なさいと母が起こしに行くと
何やらブツブツ言って、
要領を得ない。
結局父はまた次の日も仕事を休み、
イライラした母が布団をひっ
ぺがした。
母
「いい加減にしなさいよ!
しんどいのなら病院行くとか
ずっと寝てても治らないでしょっ!」
父「もういい」
母「何がもういいのよ」
父「わしは●んだらいい」
母「はあ?」
母、父が何が言いたいのか
わからずさらに激高。
仕方なく私が優しく聞くと
お前になら話すと言って来た。
なので母に部屋の外に出てもらって、
二人きりで話した。
私
「どうしたのよ、お母さんも
心配してるよ?」
父「わしなぁ…借金ある」
ええええええええええ!!?
しかもよくよく聞いてみると
なんと借金総額400万…。
その事を母に伝えると母激怒。
鬼のような形相で父に
詰め寄っていた。
その日から私と母は借金の
返済に追われるのだった。
なんで離婚して自己破産さ
せないかなあ もしくは
放り出さないかなあ
支援。
彼氏にそんな役目おしつけんなよ。
まず本人が借りた時の
契約書を全部出させて、
借金総額はいくらか細かく
割り出した。
その後キャッシングカード
全部没収のち、
今手元にあるお金集めて
少額から消して行こうって
なって銀行と返済手続きは
私の役目になった。
母は毎日どこかにお金を
貸してくれと電話していた。
そんな中父だけはのほほんと
仕事に行って、
お見舞いと借金返済に追わ
れてくたくたになって帰って
来た私と母に向かって
「ご飯は?」と言う始末。
今思えば母はこの時点で
離婚を考えていた
のではないかと思う。
父は大手
キャッシングだけでは
足りなくなってきたので、
闇金にまで手を出して
いたので利子だけで払えなく
なってきていた状態。
とにかく一日でも遅く
なると高利子がつくので、
母は必死にお金集めて私は
それを銀行に振込みに行ったり、
もう父の名前ではお金を
貸さないでくれって頼んだりした。
結局立ち退き料200万も
使わなければならなくなり、
安い市営に引っ越した。
親戚に頭を下げてお金を
貸してもらったりして、
なんとか全額返済。
キャッシングの奴らって、
お金返すって言うと嫌な顔するんだ。
しかも、またのご利用を
お待ちしてますだって、
もう二度としません!って言った。
カードは全部ハサミ入れて破棄。
って、ここまで書くとすごく
いい母みたいだけど後日談。
母、妹の事故で勝ち取った
慰謝料独り占め
→家購入
→父と離婚、
蹴りだすように追い出した
→妹にまで出で行けと追い出す
→母、
一軒家でのうのうと一人暮らし。
ちなみに私はとっくに結婚
して家を出てたけれど、
あるしょーもない理由で
母から縁切りされて絶縁。
妹も今は結婚して一児の母です。
ダラダラ長い文章をここまで
読んでくれてありがとう。
以上で終わります。
妹さんは結局歩けないままなの?
一生歩けません。
でも車の運転もできるし
出産もしたし私よりすごいです。
立ち退き料200万って安すぎね?
そんなもん?
今の相場は知りませんが、
かなりの昔の事なのでそんな
もんなのかなと。
今の相場は大体家賃の12ヶ月分。
かなり昔の話だし、当時でも
100万もらったら
貰いすぎぐらいかもしれんね。
それっていままで一所懸命
家族を守る為に頑張って
きたのに何も報われなかった
お母さんが最後に信じられる
のは自分だけだと気付いた
結果ではないでしょうか。
妹さんが立ち直ってよかったよ。
こんだけ強い母にとっては
もう家族は重荷でしか
なかったんだろうね
つか自己破産ささえれば
よかったに同意
みんなどんな頭の構造してたら、
身内の一生に関わる体の
告知を赤の他人の彼氏にさ
せようとする気になるんだろう。
やっぱちょっと全体的に
ズレた家族なんだろうね。
えーと後出しみたいですが
言わせたんではなくて僕が
言いましょうか?
と最初に言って来てたんです。
で、母が一度は断ったけど
彼氏の方が妹のショックが
少ないかも…とまかせた感じでした。
自己破産は世間体を気にする
母は絶対しませんね。
あと事故の相手は普通の
おっさんで運送会社勤務だった。
現場検証で不利にならない
ように嘘ついたりして矛盾が
たくさん出て警察が怒るぐらい。
家族の借金を代わりに返済するのは、
普通なら地獄への第一歩。
よく父親をたたき出せたものだねえ。
とにかく妹さんが立ち直って
本当に良かったよ
彼氏の件は人間切羽詰まっ
てる時冷静になれないって
事で読み流したけどなあ
後、読み終えてお母さんを
攻める気になれない。
強くてしっかりした人じゃないか?
周りの家族が足を引っ張って
しまった感あり
妹の事故の慰謝料を一人占め